うえのドイツ文化村


宮古島の「上野」といえば「ドイツ村がある所」と言われるほど代表的な施設です。





南国の宮古島とヨーロッパのドイツ。どう関係があるのかと不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
これは150年前にあった、島民の人情深い歴史からきています。



1873年、台風の影響で宮古島上野宮国沖合近くにドイツの商船が座礁するという事故が起きました。

展望台からの海


それを発見した島民達は、荒れ狂う海へ自らの命も顧みず乗組員を救助。
言葉も通じなかったはずと思いますが、その後も約1ヶ月看護をし衣食住を賄い、乗組員をドイツへ無事帰国させたのでした。


3年後これに感動したドイツ皇帝が軍艦を派遣し、ドイツ博愛記念碑を設置。





更に時が流れ1996年、祖先の勇気ある行動・博愛の心を後世に伝えるため、うえのドイツ文化村は完成しました。

現代でも宮古島では、困ったらお互い助け合うという気持ちが強く根付いているので、
ずっと変わらずに語り継がれてきたのだなと感じます。

南国観光にヨーロッパのお城はあまり結びつかないのではと違和感に感じますが、
こういった歴史がある事を教えてくれる素晴らしい南国の城です。

今後も忘れられる事なく「博愛の心」、語り継がれてほしいですね。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

前の記事

嘉手苅・入江湾

次の記事

展望台